志あるやなしや。
先日、ある会社の経営陣の一人と話す機会があった。
ほとんど誰もが知っている、コンシューマ向けのコミュニケーション分野のインターネットサービスを手がける会社のCFO兼アライアンス他の新規案件も担当する人物で、30歳そこそこながら経歴は文句なしに華やか。会話をはじめてすぐに頭脳の明晰さ&行動力が伝わってきた。
が・・・会話を終えてボクは、その会社&そのサービスに対して「もう使わないし関わりたくない」と思った。
なぜなら「その会社は何を成そうとしているのか?」「どうありたいのか?」という質問に対する彼の答えが「時価総額を上げる」「有力な提携先を増やす」「新分野に進出する」「会員を4倍に増やす」という内容に終始したから。そしてボクはそうしたゴールを「志」とは思わないからだ。
会社は公器である。それは市場や製品/サービス、そして雇用を創出・維持したり、ステークホルダーに対して投資に見合う金銭的価値を還元する装置として「存続する」ということだ。その点では「時価総額を上げる」云々は、存続を続けるための手段(の一つ)でもあるし、結果(としての状態)でもあるから否定するものではない。
しかし・・・B2B専門ならいざ知らず、まがりなりにもコンシューマー向けのサービスを生業としている会社であれば、結果としての「時価総額1000億円」よりも「社会(人々の生活)にどんな変化(楽しみ・喜び・利便性etc...)をもたらすのか」を語るべきではないかとボクは強く思う。それが公器だと。
それだけに、彼からは一切「利用者に対して」とか「ユーザーの体験を」という言葉が出なかったことに驚きを覚えたと言えよう。大丈夫なのか。
そうは言いつつ、今のところ順調に売上・利益とも伸びているし、人材は彼も含め実務では優秀。現在目論んでいるIPOもおそらく成功するだろう。しかし利用者を無視した経営観では早晩、立ち行かなくなるはず。そう思いたい。
会談を終えて、同社のサービス利用を止めることを決意。2004年の開始時から使っていたのでなんだか寂しく感じたが(故郷が市町村合併した上に首長の汚職が判明した感覚?)、昨今吹き出している様々な運用上の問題も根源はこういう経営観にあるのだな、と納得もできた。
少なくとも自分が働く会社、携わるサービスでは「志」を持ち、語りたい。そういう経営者でありたいし、そういう経営陣と働きたい。それが認識できた実り多い1時間だったと言えよう。
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