8.20.2007

読書:「1ポンドの悲しみ」「こんな僕でも社長になれた」

金曜日、猛暑にオフィスの空調設備が壊れ、そんな時に限ってスーツ着用日だったボクは山積した仕事も相まって打ち合わせ中機嫌が悪くなってしまった。大人げないと反省。それにしてもオリックス・ファシリティーズになってからビル管理がよくないなあ。三井不動産ビルマネジメントに戻してくれないものか。

そんな猛暑と各種もやもやで消沈した週末、軽い本を久しぶりにいくつか読んだ。

ひとつは石田衣良の「1ポンドの悲しみ」。30代の男女を主人公にした短編集でヨメがふむふむと頷きながら読んでいたのを借りた。なるほど、オトナの恋を描いたものでありながら(表題作の性的な描写などは30代ならでは?)どこか青春を感じるすっきりとした読後感のある作品ばかりでよかった。いつも通り気障ににならないギリギリのところの素直な台詞が上手い、このヒトは。

個人的にいいなと思ったところは「デートは本屋で」(このタイトルもいい)という話の終盤にある登場人物のやりとり。

「わたし、高生さんと話したいことがいっぱいあるみたいな気がする」
高生はほとんど目を閉じそうに目を細めて笑った。
「どうせ、これまで読んだ本の話しなんでしょ」
千晶は少女のように舌の先をのぞかせた。
「うん、そうだけど、それが一番わかるんだよ。あなたがどういう人で、なにが好きか。心の底でどんなふうに生きたいと思っているか」

千晶は窓のむこうを見ている高生にいいたかった。これほどたくさんの本が書かれているのは、そのせいなのだ。本はひとつひとつがちいさな鏡で、読む人の心の底を映し出す力がある。

かの佳作「ハイ・フィデリティ」では、主人公の音楽オタク達の「どういう人間であるかより、何が好きなのかの方が大切」という極端な価値基準が批判の対象となっていたが、個人的には「何がどうして好きなのか」はある人間と近しくなれるか、なりたいかの判断材料としてとても重要なものだと思う。別に同じものを好きでなくてもいいし、嫌いなものを好きでも構わない。どうして好きなのか、がわかれば。
そして「本」は、その判断のジャンルにおいて、かなり身近でありながら実はかなり奥深いものかもしれない(音楽や映画に比べて)。千晶(石田衣良)の言う「本はひとつひとつがちいさな鏡で、読む人の心の底を映し出す力がある」というのは真実だろう。


次に読んだのが、遅ればせながらやっと入手した「こんな僕でも社長になれた」(家入一真、ワニブックス)。

仕事でもおつきあいのあるPaperboy&co.社の社長による自叙伝だが、予想外によかった。

いわゆる76世代の成功者と言われる同年代のITベンチャー社長の半生というと、かえってシニカルな反応をしてしまいがちだが、経営論的なものは一切出てこないし、登場人物が交わす福岡弁への親近感からか案外すんなり読めたので、その他の有名社長よりもかなり共感できる部分が多かったと言えよう。

どんな人にだって、どこかにきっと、何も恐れることなくハッピーに暮らせる場所があるはずだ。前に進まなくたって、逃げたって、生きてさえいれば、きっといつか、そんな場所にたどり着く。逃げることは、決して悪いことじゃない。

こうした言葉はとらえようによっては「前向きではない」「弱い」という印象を持たれるし「結果(成果)が出たから言えること」という意見も確かにあるだろう。

でも最近、世の中全体に昔ほど余裕がなくなっていると確実に感じるし、強いヒトにはますますつらい弱者に優しくない気がする。人間関係における言葉遣いも、ボクが子供のときよりキツイと思うし、こんなに鬱病のヒトが多いのは「逃げる場所を探す時間」も「探せる雰囲気」もないからじゃないか。
身動きが取れないことに絶望的になって、自ら命を絶ってしまうくらいなら、誰も追ってこないところまで、全力で逃げればいい。

週末も小田原で無理心中と思われる事件があったが、父親も中学生の息子を手にかけるくらいなら逃げればよかったのにと思う。でも、もしかしたら・・・「誰も追ってこない場所」を知らなかったんじゃないだろうか。

改めて思った。家族、故郷、心落ち着ける場所・・・常日頃、そうしたものの存在を無意識だけど感じていられるようにしておかなくては。本を読み、人と話し、映画で笑い、共に酒に酔う。仕事ももちろんだが、そうした人間的つながりを30代、大事にしたい。

来週は恒例の合宿。これもまた友人との繋がりを保つ大切な時間。楽しみだ。