3.28.2007

Luxury Brand in Japan

27日の夕刻、慶應大学三田キャンパスで催された講演会・パネルディスカッションに参加。

テーマは「男の美意識の変化とブランド」。主催は、世界でも珍しい"MBA高級ブランドマネジメント(MBA in International Laxury Brand Management)"というラクシュリーブランド専門のマネジメントコースを持つフランスの経営大学院/グランゼコールである、ESSEC大学。そんなコースがあるとは、さすがはフランスと言えよう。

そんな同大学の創立100周年を記念したイベントのひとつとして開催された今回のプログラムは、まずESSEC学長であるLaurent Bibard氏から簡単な挨拶があり、その後、Laxuryコース主任教授のSimon Nyeck教授による基調講演。メインは基調講演の内容をベースにしたパネルディスカッション+会場を交えた質疑応答、というものだった。

パネルディスカッションは、Nyeck教授に以下の3名を交えて行われた。

・フランシス・ベラン氏(リシュモン・ジャパン、Jaeger-LeCoultreブランド担当CEO)
・大久保茂夫氏(株式会社資生堂 国際事業部)
・イバハム・マトリルン氏 (Parfums Christian Dior Japon、トラベルリテイル部セールス・マネージャー)

それぞれ、名だたるLaxury&Beautyブランドのブランド戦略に関わる人選(もしかしたらESSEC卒業生なのかもしれない)。普段の自分の仕事ではなかなか出会う機会のないメンバーでもあり、とても興味深い話を聴くことができた。

各氏とも"functionality vs aesthetics"や"cultural aspiration"といったキーワードを織り交ぜながらのプレゼンだったが、それぞれ個性があって面白かった(中でもマトリルン氏のスピーチは語り口 も軽妙で会場も沸いていた)。そして、それぞれが共通して言及していたのは、"日本におけるLaxuryブランドの消費性向は欧州のそれとは異なる"という こと。日本の場合は、欧州に比べてメディアによる影響力が強くトレンドにうまく乗ることが重要なんだそうだ。そして男性向けのLaxuryブランドに関し ては、(移り気な)若年層がその市場の多勢を占める女性と異なり、ある程度セグメントされた顧客層(1955~59年生まれを中心とする世代)をターゲッ トにしていることもあって、昨今のシニア男性向けのファッション誌などある程度決まったプレイスメントの場があるのは、いい傾向だとも言っていた。

その後の質疑応答で盛り上がったのは「LEON」「GOETHE」「Men's EX」等、男性雑誌についての考察。曰く「LEONが取り扱うブランドはどちらかというと"MASSIVE"なものが多く、より価値表現が直接的であった り華美なものが好まれている(Nyeck教授)」「イチオシはGOETHE。仕事&ファッションという軸はクールビズなどのトレンドにあっている(ベラン 氏)」など。

日本人・外国人が半々くらいの会場で、発表、議論、質疑応答、そして進行も全て英語(大半がフランス訛)だったので多少疲れた。当たり前なんだろうが皆さん流暢で、最近サボリ気味の英語の勉強を再開することを軽く決意。

英語に疲れたのか体調も万全ではなかったため懇親会には行かず、ESSECの人々と軽く挨拶&立ち話をして帰宅。

Laxury分野って結構面白いなぁと感じた夜だった。


 

comments:

cyberoptic さんのコメント...
2:53 午後
 

日本の男性がLaxuryブランドにとって魅力的(なビジネスターゲット)になってきた背景は、「LEON」等の創刊&成功もあるだろうが、結局のところ、いわゆる「所得格差」が明確になってきたからであるように思う。

彼らが狙っているセグメントの男性は、世界的に見ても可処分所得(の平均)が非常に高い。そして彼らの存在が日本という国に明確な格差を生みつつあり、それはすなわち「階級/クラス」の表出であると言える。
そしてそのことが欧州型のLaxuryブランド消費性向を出現させ、加速させているのだ。

もちろん日本にも昔から格差はあったし、庶民には関係のないところでLaxuryな文化は存在した。しかしそれは戦後、様々な社会/企業構造が解体されていく中で、表面上はリセットされて庶民の意識の中には、誰かの意図かそうでないかは別として、「中流のみが存在する日本」が刷り込まれた。その方が国家を立て直し発展させていくには都合が良いから。
その当時も確実に存在していたはずの富裕層は、その存在を声高に叫ぶことはなかったし(実際本当の富裕層は存在を主張する必要なんてないのだ)、庶民の側は彼らの存在はイレギュラーなものとして無意識的に無視をしていた。

でも現代は違う。経済発展によって中流の中から"新富裕層"が出現していて、彼らはその存在をむしろ主張したいと考えている。何のために?差別化のために。これも刷り込まれている概念だ。
だが悲しいかな、消費の仕方がわからない。Laxuryブランドを消費する習慣(購入に限らずそれらに触れる、それらと暮らすことを含む)がなかったから。

だから「LEON」が受け入れられるのだ。元編集長の岸田一朗氏が言う「日本の男性はshyだったから」とはちと違う。彼らは目の前にある可処分所得を消費するための術を知らなかったのだ。オンナにもてたいという願望はそりゃあるだろうが、それは術を学ぶための口実だろう。

そんなことを有楽町線で考えた。